2009年3月4日水曜日

不可少的只有一件(どうしても必要なことは一つだけ)

“但是不可少的只有一件,马利亚已经选择了那上好的福分,是不能夺去的”。(路加福音10:42)

这段经文是有一天马大接耶稣到自己的家里,她拼命地忙里忙外地伺候耶稣,但是她的妹妹马利亚却坐在耶稣的脚前听他的道。马大因伺候的事多,心里忙乱,就对耶稣说要马利亚来帮助她。这时候,耶稣就对马大说:“马大、马大,你为很多事情思虑烦恼,但是不可少的只有一件,马利亚已经选择了那上好的福分,是不能夺去的。”

日常生活当中,要有很多事情去处理,会为很多事情思虑烦恼。但在这里耶稣告诉我们说为很多事情思虑烦恼,但是不可少的只有一件。也就是人生不可缺少的就是就是象马利亚一样,坐在耶稣的脚前听耶稣的道。

人生可以选择,你可以选择马大的方式,也可以选择马利亚的做法,但主耶稣很清楚告诉我们,马利亚已经选择了那上好的福分。求神给我们一颗智慧的心,能夠选择那上好的福分。

「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:42)

この聖書箇所はマルダがイエスを自分の家を迎えた時、一生懸命に奉仕をしていました。しかし、妹のマリヤはイエスの足もとにすわって、みことばに聞き入っていました。それで、マルタはいろいろともてなしのために気が落ち着かず、妹も助けてほしいと願ったのです。そして、イエスは 「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

日常生活の中で、毎日処理すべきことはたくさんあります。またいろいろなことのために心配します。しかし、ここで、イエスが人生にはどうしても必要なことは一つだけだとおっしゃっています。すなわち、マリヤのように、イエスの足もとにすわって、みことばを聞き入ることです。

人生は常に選択できます。マルタのようにすることもできるし、またマリヤのようにやることもできます。しかし、イエスは、「マリヤはその良いほうを選んだのです。」とおっしゃいました。私たちも神様に良いほうを選択できる知恵を求めることが必要です。主の祝福がありますように!


2009年2月26日木曜日

只有一次的人生(一度の人生)

“神爱世人,甚至将他的独生子赐给他们。叫一切信他的人,不至灭亡,反得永生。” 约翰福音3:16

只有一次的人生,我们该如何度过?人生的意义在哪里?我一直在寻找这个答案。

1993年10月,我来日本留学。第二年,一个偶然的机会,遇见了一位从台湾来的牧师夫人,她送我一本圣经。在里面,我找到了人生的答案。正如约翰福音3:16所应许,我信了耶稣,得到了永生。

我们在这个世上生活的时间有限,但用这有限的生命去追求永恒的生命,人生绝对不会虚空结束,也绝对不会后悔。圣经里也应许说:“凡信靠他的人必不至于羞愧。”(罗马书9:33)。

我衷心希望你也能与这位爱我们的神相遇,透过耶稣基督得着永恒的生命,找到你人生的意义。耶稣爱你!

  「神は、実に、そのひとり子をお与えになったたほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 ーヨハネ3:16

  一度の人生はどう過ごしたら、よいのでしょうか?人生の意義はどこにあるのでしょうか?長年、私はずっと探してきました。

  そして、1993年10月留学生として、来日しました。翌年の1994年、ある偶然の日に、ある台湾から来た牧師先生と知り合い、聖書をもらいました。ヨハネ3:16に約束された通りに、私は、聖書を通して、神の愛を知り、イエス・キリストを通して、永遠のいのちを得ました。

  私たちはこの世に生きている時間は限られています。だが、限られた人生を永遠のいのちを投資すれば、絶対空しくく終わってしまうことがなく、後悔することはありません。聖書の中にも「彼に信頼する者は、失望させれらることがない。」(ローマ書9:33)

  あなたの人生もぜひ神の愛、イエス・キリストに出会って、人生の意義を見出してほしいです。 Jesus Loves You!

2009年2月15日日曜日

四十岁的生日礼物(四十歳の誕生プレゼント)

今天是我的四十岁的生日,也是欢呼收割教会的第一次的聚会。

丈夫在我生日的时候,想要给我送什么礼物。没想到正好在我生日这天,教会开始第一次聚会。教会是代表属灵的孩子的诞生,这对我来说,是一个非常好的礼物。我记得去年丈夫生日的那天,我也想要给丈夫什么礼物,那个时候我们在香港,物质的东西也没有什么意义,很想给他一个特别的礼物,正好那天,我发现自己怀孕了,就将整个肉身的孩子给他做了最好的礼物。而在我四十岁生日的这天,丈夫给我了属灵的孩子作为礼物。这些都不是我们自己计划的,不得不感叹上帝的作为。

我还记得在我们结婚的时候,也特别蒙上帝的眷顾。我们交往77天后登记,而登记的那天正好是8月8日,北京奥林匹克开幕式的那天。这天登记也不是我们自己计划的,因为那期间我正好要给一位从台湾来的牧师作翻译,只有8月8日那天我们才有时间。然后99天后我们举行了婚礼。这一切来看,好像看起来都是偶然,但我并不这样认为,这是上帝的精心计划。

圣经诗篇139篇里说“我未成形的体质,你的眼早已看见了。你所定的日子,我尚未度一日,你都写在你的册上了。神啊,你的意念向我何等宝贵,其数何等众多。”我也是同感。感谢主!赞美主!

今日は私の四十歳の誕生日で、またジョイフル・ハーベスト・チャーチの最初の正式礼拝の日です。
私の誕生日に、主人が私にどういうプレゼントをするか考えたみたいです。ちょうど、私の誕生日の日に、教会の初めての正式礼拝が始まることになっています。教会は霊的な子どもの誕生を代表しています。これこそ、私に最高なプレゼントです。

去年主人の誕生日の日に、私も主人にプレゼントに上げようと思ったが、ちょうどその時、香港にいました。物質的なものはあまり意味がなく、特別なプレゼントにしようと思いました。ちょうどその日、私は自分が妊娠したことが分かり、この肉の子どもを主人にプレゼントとして送りました。私が四十歳の時、主人が霊的な子どもを私にプレゼントをくれしました。これは全然私たちが計画したのではありません。これは神様の御わざしか言えません。

振り返ってみれば、私たちの結婚も神様に特別に顧みてくださいました。付き合ってから77日目入籍しました。入籍した日はちょうど北京オリンピックの日でした。この日に登録する計画も全くありませんでした。その期間、台湾からの牧師先生の通訳としてやっていました。ちょうど8月8日しか時間がなかったので、入籍しました。そして、入籍してから、99日目に結婚式を挙げました(ちなみに、中国の習慣としては、結婚式の前に入籍するのは普通です。)。これらのすべては偶然のように見えるかもしれませんが、私は決して偶然とは思いません。これは背後に神さんの慈しみと神様の素晴らしい恵みがあります。

聖書詩篇139篇に、「あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書き記されました。私のために造られた日々が、しかも、その日もないうちに。神よ。あなたの御思いを知るのはなんとむずかしいことでしょう。」(詩篇139:16-17)これはダビデが書いた詩ですが、私も同感です。神様に感謝し、神様をほめたたえます。

2009年2月14日土曜日

三十代的最后一天(三十代の最後の日)

今天早上给一位朋友打电话。她知道明天是我四十岁的生日,问我三十代的最后一天如何度过?我自己似乎没有想过自己快四十了。年龄似乎对我来说不是太重要,这也许因为信耶稣的原因。圣经里说,凡信的人耶稣的人,上帝赐给他们永生。在永恒的世界里,属世的年龄就算不得什么了。

今朝、友だちに電話をしたら、三十代の最後の日にどう過ごす予定かと聞かれました。彼女は明日が私の四十の誕生日を知っているからです。私は自分がもうすぐ四十になると全然気にしなかったです。年は私にとってそんな大切ではないような感じです。これは私がイエスを信じたからと思います。聖書の中では、イエスを信じる人は、永遠の命が与えられると約束しています。この永遠の世界において、この世の年齢は気にしなくても済むのです。

2009年2月2日月曜日

胎内の赤ちゃん(20週)

时间过得真快!今天到医院去检查,腹中的孩子已经满20周了,这个小生命已经和我一同度过了这么多的日子,对我来说仿佛就像昨天的感觉。

時間の立つのは早いものですね。今日病院へ検診しに行きました。胎内の赤ちゃんはもうすでに20週になりました。この小さな命はもう150日間近く一緒にいたんですね。私にとっては昨日のような感じです。

2009年1月27日火曜日

我最喜欢的经文(私が最も好きな聖句)

“常常喜乐,不住地祷告,凡事谢恩,因为这是神在基督耶稣里向你们所定的旨意。”             帖撒罗尼迦前书5:16-18
  
这是我最喜欢的圣经经文之一。在我的人生一段非常艰难的时候,神对我说这句话,于是我就按照这句话来操练。我就我发现,尽管环境没有立刻改变,但是我的心首先有了来自神的平安和喜乐,使得我能坦然面对环境。

常常喜乐,一个基督徒,我的经历是失去喜乐的时候,就会变得很软弱。圣经也说“靠主喜乐是我们的力量。”基督徒的喜乐的源头在于昨天、今天、直到永远都不改变的神。这种喜乐是超越环境的,不会因为环境的改变而改变。

不住地祷告,即24小时不停地祷告。本来有罪的人是不能亲近神,但是因着耶稣基督为我们订死在十字架上,恢复了人和神之间的关系,让人24小时随时都可以进到神的面前去祷告,祷告常常被称为是基督徒的属灵的呼吸,人不呼吸生命就会窒息,当我们祷告的时候,神就让我们里面的生命更加刚强,并且赐给我们面对环境的力量。

凡事谢恩。可以说一个没有感恩的心的人是不会快乐的,生命也不会丰盛的。人的本性是当人生很顺利的时候很容易感恩,但是当人生不顺利的时候,就容易变得怨天尤人,如果是这样就很容易失去人生中本来可以得到的丰盛。其实人生很多的东西都是在逆境中获得的。圣经里说:“凡事都互相效力,叫属神的人得益处。”(罗马书8:28)

神的本质是爱,他希望我们能够蒙福。但蒙福的秘诀就是要按照神的旨意去行事。 既然在这句经文里神很清楚地将他的旨意告诉了我们,所以当我们按照神的话语去行动的时候,你就会经历神的莫大的恩典和祝福,愿神祝福你! 、

「いつも喜んでいなさい。絶えずに祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに望んでおられることです。」   Ⅰテサロニケ5:17

 これは私が最も好きな聖句です。私の人生のとても困難な時、神様からこの御言葉を直接語られました。それで、私はこの聖句通りに実践し始めました。環境はすぐ変わったのではないですが、心の中に神様から喜びと平安が与えられて、環境の不安から解放されました。

「いつも喜んでいなさい。」クリスチャンにとって、喜びを失ってしまったら、弱くなってしまいます。聖書も「主を喜ぶことは私たちの力だ」と言っています。クリスチャンの喜びの源は昨日も、今日も、いつまでも同じである神様によるのです。この喜びは環境を超越して、環境の変わりによって変わるものではありません。

「絶えず祈りなさい。」、すなわち24時間祈ることができることです。そもそも罪を持っている人間は神に近づくことができなかったのですが、イエス・キリストが人間の罪のために十字架の上で死んでくださったお陰で、人間の罪が赦され、神に近づくことができるようになり、24時間神様に祈ることができるようになりました。祈りはよくクリスチャンの霊的な呼吸だと言われています。呼吸しないと窒息してしまいますが、祈ると、内側の力が強められ、環境に打ち勝つ力が与えられます。

「すべてのことについて感謝しなさい。」心の中に、感謝がない人は決して豊かに過ごすことができません。だが、人間の本性としては、順調の時、うまく行っている時は、感謝しやすいですが、逆境の中、挫折の時は、落ち込んで、呟きやすいです。こうすると、豊かな人生から遠ざけてしまいます。というのは、人生の多くのものは逆境の中、挫折の中で学ぶからです。聖書の中で「神はすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ書8:28)と言っています。

神様の本質は愛です。私たちが祝福されることを願っています。だが、祝福される秘訣は神様が望んでいることを行うことです。神様はこの聖句を通して、はっきり私たち神様が望んでいることを教えてくださっているので、これを生活の中で実践していけば、きっと神様の豊さな恵みを体験できるのです。神様に豊かに祝福されることを心よりお祈りします。

2009年1月25日日曜日

大年三十(=大晦日)

今天是中国的年三十。这天,非常热闹,家家户户都贴红对联,晚上家人团圆一起吃年饭,然后家人一同观看春节联欢晚会,当时钟指向12点的时候,到处都会响起爆竹声,之后人们才进入到甜蜜的梦乡里。

有关中国在大年三十贴红对联和放爆竹的风俗,有这么一种传说。据说古时候有种凶恶的怪兽叫“年”,它每到三十晚上,就会出来害人,给当时的人们造成很大的威胁。后来,人们发现,“年”怕三种东西,就是红颜色、火光、响声。于是在冬天人们在自家门上挂上红颜色的桃木板,门口烧火堆,夜里通宵不睡,敲敲打打。这天夜里,"年"闯进村庄,见到家家有红色和火光,听见震天的响声,吓得跑回深山,再也不敢出来。夜过去了,人们互相祝贺道喜,大家张灯结彩,饮酒摆宴,庆祝胜利。

于是以后的年三十晚上,家家户户贴红春联,燃放爆竹,来驱除夕兽.以求新的一年安宁。这种习俗从此流传至今。

今日は中国の大晦日で、とても賑やかな日です。各家の入口の両側に、赤い「対聯」(祝言の対句を書いた紙)を貼り、夜は家族団らんして、ごちそうを食べ、そして、家族をそろって、「春節聯歓晩会」(日本の紅白歌合戦に当たる)を楽しみます。時計が12時にさした時点で、至るところ爆竹を鳴らす音が聞こえます。これを終えてから、人々はぐっすり夢の中に入ります。

中国で大晦日の日に赤い「対聯」と爆竹を鳴らす風習について、一つ伝説があります。話によると、大昔、「年」というきわめて凶暴な怪獣がいました。この怪獣は大晦日の日になると、人を脅かしに出てくるのです。当時の人々はとても悩ませました。後に、人々は「年」という怪獣が「赤い色と火の灯りと爆音」を怖がっているのを発見しました。それで、人々は家の入口に、赤い板を掛け、たき火を燃やして、夜通し、音を立てていました。すると、「年」はこれを見て、怖がって、深い山に逃げ、隠して、二度と出て来なくなりました。そして、夜明けてから、人々は互いに祝うことばを述べ、、宴会を開き、勝利を祝ったといわれています。

それで、後の大晦日に、各家は赤い「対聯」を貼り、爆竹を鳴らすことで、「年」を退治し、新しい一年の平安を祈るのです。この風習はずっと今日まで残っています。